25年3月の旅行:ワイマール、アウシュヴィッツ、クラクフ
■旅に出る
いまイギリスのブリストルに一時的に住んでいる。先日ドイツとポーランドに旅行に行ってきた。せっかくなので他の国も見てみようといろいろと候補をあげて検討した結果、ドイツのワイマールとポーランドのクラクフ、そしてオシフィエンチム(アウシュヴィッツ)に行くことにした。
ワイマールはバウハウスの博物館に行くためである。バウハウスについての説明は措くとして、バウハウス巡りをする場合、ワイマール、デッサウ、ベルリンのどれを選ぶかという問題が生じる。このうちデッサウはベルリンから行くのが早いのでこの2つは多分一緒に回れるが、あいにくベルリンまでの便で時間と価格がちょうどいいのがなかったので、フランクフルトまで飛んで、鉄道でワイマールにのみ行くこととした。
ワイマールは旧東ドイツで東欧に近いので、地図を見ていると自然と東の方に目が向いた。最初は鉄道でドレスデンを抜けてプラハにでも行ってみようかと思ったが、ポーランドにアウシュヴィッツがあることを思い出した。人類史の極北として一度は行っておいた方がいいと思っていたが、昨年「関心領域」というアウシュヴィッツが舞台の映画を見てさらにその感覚は高まっていた。行くことは即決となった。アウシュヴィッツへのアクセスは、クラクフ経由が早そうなので、そこでクラクフも立ち寄ることにした。
しかしながら出発の約5日前に、フランクフルトまで飛ぶために使うヒースロー空港が停電という未曾有の事態に見舞われた。いつ復旧するかわからないという触れ込みだったので、最初にとっていた便の約1時間遅れでロンドン・シティ空港から出る別の便を、停電のその日に、約1万8千円かけて予約した。結局、2日後にはほぼ完全に復旧したので、掛け捨ての保険のようなかたちとなってしまった。この判断が正しかったのかわからないが、少なくとも同じようなことが人生で何回もあるとは思えないので、特殊ケースとして、正しいとか正しくないとかいうのは措いておくのがいいように、書いていて思えてきた。
■ワイマール
無事出発と相成り、大過なくフランクフルト中央駅そばのホテルに辿り着いて翌朝、中央駅から新幹線的な高速鉄道に乗った。エアフルトでローカル線に乗り換えて、出発から約2時間をかけて正午にワイマールに到着。バウハウス博物館は2時で予約していたので、その間、適当に散策。街の中心の広場のスーパーでパンを買って食べる。食べる場所を探していて、広場の中央の大きな公会堂のようなところの階段を見つけたのだが、若干汚くて座るのが躊躇われて別の場所に移動した。あとで調べたら、この公会堂こそがワイマール憲法を制定した会議場であったらしい。ただの建物だと思って写真の一つも撮らなかった。
バウハウス博物館
バウハウス博物館に入場。想定外のハプニングが起きる。返却式コインロッカーに1ユーロが必要だった。現金のユーロは全く持ち合わせておらず焦る。そこで苦肉の策で日本の10円玉を入れたら動いてしまった。試してないが、返却式であればこの手法は他でも使えてしまう可能性はある。ドイツ滞在時に現金が必要だったのはこの一度だけだったので両替なぞしなくてすんだのはラッキーではあった。
肝心の展示は3階分にわたるまことにヴォリューミーなものであった。バウハウス・ワイマールはバウハウスの初期にあたり、いわゆるミニマリズムがバウハウス流として確立する前のごった煮的な時期でもあった。実際にデザインや建築だけでなくダンスやテキスタイル、陶芸なども教えていたようである。そこからの方針転換はグロピウスの采配によるものである。
印象に残った逸話。カンディンスキーは一時期、「四角は赤く、丸は青く、三角は黄色く塗る」ことを学生に求めていたらしい。色と形の連想についてのアンケートに基づくものであったらしいが、いくらなんでもやりすぎだろう。とはいえ当時は真剣な探究であったのだろう。しかし、本人たちも意外と冗談でやっていた可能性もある。わからないが、実際にこの原則に基づいたカラーリングの乳母車が展示されていた。
ホテルに着くと肩が凝っており旅の疲れを感じたが、翌日は15時ワイマール発の鉄道に乗るまで予定を入れていなかったのでゆっくりできる。自分の体力のなさをよく知っているので、この辺で休息日を入れておいた方がいいという判断だったが、これが功を奏した。
イルム公園
チェックアウトの11時ギリギリまでストレッチなどをし、回復できるだけしたところでイルム公園へ。地図を見たらわかるが、ワイマールの中心市街地よりもこの公園の方が大きいほどで、ワイマールにおいてこの公園は巨大な存在感を放っている。果たして、イルム公園をぶらついたのは、今回の旅行の白眉のひとつであった。日本、というかイギリスでもここまで大きな公園はなかなかない。しかも街の規模が小さいので全く混雑しておらず、すこぶる落ち着いた気分で歩くことできる。非常に気持ちいい。
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| 丸太が置かれていた |
ハウス・アム・ホルン
一旦公園を抜けて、ハウス・アム・ホルンに入る。これはバウハウスが1923年のワイマール時代に建てたモデルハウスで、当時のバウハウス各局の粋を集めてつくったモダニズム建築である。
その建築学的解釈についてはさまざまになされているだろうし、門外漢だから措くとしても、つい印象に残ってしまったのは、キャプションでも全く触れられていなかった要素−−暖房である。イギリスに来てから感動したことの一つはセントラル・ヒーティングである。全館空調だから家の中はいつもうっすら暖かく、私の日本の陋屋のように、冬は帰ってきたら室温が6、7度、というようなことは起きない。だから気温が低めでも大勢人が住めるわけだと納得した。バウハウスにおいても各部屋にラジエーターが用意されているが、その形状は、部屋の大きさに応じて、一つ一つ異なっていた。
この住宅は、基本的には量産しやすいように、規格化を意識して作られているのだが、暖房器具については一つ一つオーダーメイドしていたようである。100年前のテューリンゲンで、ラジエーターを加工して組み立てるギルド職人の姿が目に浮かぶようである。こういうところの細やかさが、この家をなんとなく感じのいいものにしているに違いない、と思った。
再び、イルム公園
イルム公園にまた入ったら、いきなりフォトジェニックな瞬間が訪れ、おもわずカメラを向けていた。
木立の中を歩く老夫婦。構図的には、レンブラントのようでもあり、あるいはむしろ北斎的といってもいいかもしれない。この旅行では、名所の写真を撮ることよりも、ロベール・ブレッソンいうところの「決定的瞬間」を感じたときにカメラを向けようと試みた。スマホとインスタの時代において、名所の写真は地球の裏側からでも見られる。大事なのはそのときそこにいたからこそ撮れること、つまりは偶然性である。となると必然、人(私のような一人旅の場合は、同行者などではなく通行人)が鍵となる。風景に偶然性を担保するのは自然や建造環境ではなく人である。動くし、ヴァリエーションが非常に豊かだからだ。
イルム公園はどこまでもrelaxingであった。素敵な石造りの橋もあった。
■エアフルト
帰りの鉄道は行きと同じくエアフルト乗り換え。ここでトラブルが。鉄道が50分遅れているという。調べたらこの便はドイツ最北部のリューネブルクからミュンヘンまでを10時間かけて結ぶらしい。それは遅れる可能性は高くなるだろう。青森から下関まで行くみたいなものである。ということで思わぬ空き時間ができたのでエアフルトを散策できるだけすることに。
これがまたなかなか味のある街であった。驚くべきことに、駅から市街地までの車道は路面電車の専用道となっており、警察や救急車以外の車という車を一台も見ていない。こんなことが可能なのかと驚愕した。park and rideの徹底ぶりが凄まじい。しかも、一面石畳で、建物が隙間なくびっしりと立ち並んでいて、路面電車も頻繁に通り、その上で平面交差もする、というような具合で、総じてみちっとした感じの街であった。
■フランクフルト
■オシフィエンチム
■アウシュヴィッツ
- 殺されたのはユダヤ人だけではなく、ポーランド人やソビエトの捕虜なども含まれていた。
- 毒ガスと銃殺だけでなく、色々な殺され方があった。絞首刑、有刺鉄線に身を投じての自殺など。痛ましい。

ここでポーランド人の人々の首が吊るされたという - 集められた人々の中からSSへの協力者(英語だとfunctional)が選抜されていたというのは知っていたが、その待遇は他の人々よりも差がつけられていた。半個室で机もある。他の人々は、アウシュヴィッツ1では雑魚寝が多く、ビルケナウでは三層式のベッド。予想以上に露骨である。
■クラクフ
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| クラクフのスカイライン |
■総評
- ワイマールの静寂、イルム公園のリラクゼーション。
- オシフィエンチムとアウシュヴィッツのコントラスト。
- クラクフの散歩の楽しさ。























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